有島武郎

有島 武郎 (1878-1923)  札幌農学校第19期生

年譜:札幌農学校時代を中心に

明治11年(1878)

元薩摩藩士で、後に大蔵省の官僚となった有島武と、山内幸の長男として東京に生まれる

明治29年(1896)

学習院中等学科卒業後、札幌農学校予科5年級に編入学

明治30年(1897)

本科に進学する

明治34年(1901)

本科(農業経済科)を卒業

明治36年(1903)

ハヴァフォード大学大学院に入学

明治37年(1904)

ハヴァフォード大学院卒業。M.A.(文学修士)の学位を取得。

ハーバード大学大学院に進学する

明治40年(1907)

東北帝国大学農科大学英語講師に任ぜられる

明治41年(1908)

東北帝国大学農科大学予科教授に任ぜられる

大正4年(1915)

東北帝国大学農科大学に辞表を提出し休職扱いとなる

大正6年(1917)

東北帝国大学農科大学の休職期間が切れ退職となる

※東北帝国大学農科大学 → 後の北海道帝国大学農科大学

(附属図書館所蔵)

有島武郎と英語教育

<幼少期~少年期>
 アメリカ人宣教師のもとで5歳から英会話を学び始め、9歳で学習院に進学。中等学科で英文科目を学んだ記録が残っている。

<札幌農学校在学期>
 札幌農学校入学後は予科で英語を学び、新渡戸稲造の英文学を受講している。有島在学中(1896-1901)の札幌農学校は、創設期に見られた外国人教師による英語を用いた講義ではなく、日本人教師による日本語での講義が主流であった。さらに、英語科目の時間数も創設期から比べると減少している。しかし、学生の実証的な物の見方を養おうとする教育方針は健在で、論文執筆時には国内外の書籍に広く目を通すことが求められていた。また、札幌農学校には学生主体の研究会が多数存在し、例会では演説や報告会などが盛んに行われていた。英語に関係する例会も開催されており、学生が編集していた会誌『学芸会雑誌』には、有島も参加したと思われる講読会や講演が散見される。

<札幌農学校在任期>
 アメリカ留学、ヨーロッパ周遊旅行から戻ると、東北帝国大学農科大学(後の北海道帝国大学農科大学)の英語講師に任命された。 翌年には東北帝国大学農科大学の予科教授となり、英語、倫理、社会問題、文学史の講義をした。新学期の始めに英詩の講義を行うのが有島の恒例となっており、ホイットマンやゴールドスミスの長詩を紹介したという。

本展示では、有島が札幌農学校やアメリカ留学で得た英語力の成果として、当館の蔵書3点をご紹介したい。

『リビングストン傳』

有島武郎, 森本厚吉著 警醒社書店 明治34(1901)

有島の手による、新渡戸夫人・メアリー宛の献呈文あり。巻頭に新渡戸稲造への謝辞あり。

イギリスの著名な探検家リビングストン(1813-1873)の伝記を、同級生の森本厚吉と共に執筆し、卒業の年に出版した。例言では、執筆に用いた主な参考書として12冊の洋書を紹介している他、札幌農学校図書館(書籍室)が多くの蔵書を貸与したことに触れている。

(新渡戸稲造文庫  920/LI )
有島の手による、新渡戸夫人・メアリー宛の献呈文

『ホヰットマン詩集』 第1輯

ホイットマン著 有島武郎訳 叢文閣 大正12年10刷

『ホヰットマン詩集』は、アメリカの詩人ホイットマン※による『 Leaves of grass (邦題:草の葉) 』 を、有島が部分的に翻訳した詩集である。 『Leaves of grass 』は、有島の思想や創作活動に大きな影響を与えた。

留学中のボストンで、この詩と詩人の人間性とに感銘を受けた有島は、その地で買い求めた『Leaves of grass』を、帰国後も常に傍らに置き愛読していた。そして後年これを翻訳し、二輯の詩集として出版するのである。原詩に忠実で比較的誤訳が少なく、表現力のある訳詩には定評がある。
※ Walt Whitman (1819-1892)

(書庫・和書 821/WHI/1)

『 Leaves of grass 』

by Walt Whitman  D. McKay  1900

有島が『ホヰットマン詩集』第1輯の翻訳の際に底本としたのが、1900年にDavid McKayから出版された『 Leaves of grass 』である。展示中の当館所蔵本は、出版年と出版社の表記が同じではあるが、出版社の移転後に刷られた底本とは異なる版である。

有島が愛蔵していた『 Leaves of grass 』は、有島の日本語と英語による書き込みで、原字が覆い隠されるほどだったという。

(書庫・洋書  821/W59 )