武信由太郎

武信由太郎

武信由太郎は、文久3年(1863)に潮津村(現在の鳥取県鳥取市)に農家の長男として生まれた。その後、愛知英語学校(同校は武信の在学中に閉校し、愛知県中学校として引き継がれる)を経て札幌農学校に第4期生として明治13年(1880)入学している。

札幌農学校時代の武信は、英語教師サマーズの影響を強く受けて、英文学の暗誦に精を出していたとのことである。特にゴールドスミスの“The Vicar of Wakefield”(札幌農学校文庫 823/G57)は一字一句暗誦できるほど愛読したそうである。

卒業後は長野県などの中学校勤務を経て、明治20年(1887)ジャパン・メール社に入社し、その後、明治30年(1897)に札幌農学校の同期生である頭本元貞らと“The Japan times”を創刊した。

その後、武信は早稲田大学や東京高等師範学校などの勤務を経ながら、多数の重要な資料の出版に携わった。昭和5年(1930)、武信は68歳で死去している。

札幌農学校の卒業生:武信由太郎~世界に伝えるための和英辞典へ~

日本語で記した文章を、英語で発信するとき、和英辞典が重要である。日本における和英辞典の歴史は、ヘボンが慶応3年(1867)に出版した『和英語林集成』をもって始まるが、初期の和英辞典は「語彙集」の域を出ていないものと言える。文例や注釈を盛り込み、英語での発信に機能しうる和英辞典への第一歩として、大きな足跡を残したのが札幌農学校の卒業生、武信由太郎である。

武信の功績の一端を近代の日本の代表的な和英辞典を時系列で取り上げることで紹介する。

“A Japanese-English and English-Japanese dictionary” 2nd ed.

by J.C. Hepburn American Presbyterian Mission Press 1872

北大の所蔵は2nd ed.から。日本語のタイトルは『和英語林集成』で、1st ed.の収録語彙は和英が20,772語。医学博士であり長老派の宣教師であったヘボンが布教のために編纂した辞典である。この後、3rd ed.が特に広く普及し、この版で使用されたローマ字が現在「ヘボン式ローマ字」と呼ばれるものである。この3rd ed.は札幌農学校4期生である志賀重昴も校正に携わったと言われている。

(札幌農学校文庫 423/H41)

『和英大辭典』

エフ・ブリンクリー,南條文雄,岩崎行親編 三省堂書店 明治29年(1896)

英語のタイトルは“An unabridged Japanese-English dictionary”で、ヘボンの『和英語林集成』のおよそ3倍近いボリュームである。英国行使付きの武官として来日し、海軍砲術学校教頭や工部大学校教師を歴任したブリンクリーを中心に編纂された辞典である。札幌農学校第2期生である岩崎行親も編者に名を連ねている。

(札幌農学校文庫 423/B77)

"A Japanese-English dictionary"

by I. Nitobe and J. Takakusu Sanseido, 1905

北大には所蔵が無い。日本語のタイトルは『新式日英辭典』。筆頭の編纂者は新渡戸稲造であるが、実質的には入江祝衛が編纂したと言われている。

"A standard Japanese-English dictionary"

by N. Sakuma and T. Hirose with the assistance of R. Ohshima 郁文舎, 1909

北大には所蔵が無い。日本語のタイトルは『和英大辭林』。札幌農学校第3期生である佐久間信恭が編者の一人である。明治37年(1904)に同じく佐久間信恭が編纂した『會話作文和英中辭林』の改訂版と位置付けられる。「会話」がタイトルにあるとおり、改訂版においても多数の例文を掲載している。

『新譯和英辭典』

井上十吉著 三省堂書店 明治42年(1909)

(文学研究科の研究室にあるため基本的にご利用いただけません。)

英語のタイトルは“Inouye’s Japanese-English dictionary”。英国に11年滞在しラグビー校に学んだ井上十吉による編纂である。この辞書は中等学校の生徒を念頭において編纂されたもので列挙された英語語彙が難しい場合はそれぞれ日本語で解説を挿入している。
(文学研究科 423/INO)

『武信和英大辭典』

武信由太郎編 研究社 大正7年(1918)

北大には所蔵が無い。英語のタイトルは“Takenobu’s Japanese-English dictionary”で、収録語彙は約30万語である。武信は序文にて従来の和英辞典における欠点を補うべく編纂を試みたと書いている。その欠点として、語彙の貧弱さ、系統的分類が行われていないこと、解釈が不親切・不徹底であること、例解は不備があり要をえていないこと、訳文は堅く日本語の臭いが抜け切らないことを挙げている。この辞典の売り上げは驚異的で、大正7年(1918)9月から翌年6月までの間に26版を数えている。

『スタンダード和英大辭典』

竹原常太著 大正13年(1924)

英語のタイトルは“A standard Japanese-English dictionary”。ニューヨーク大学大学院英文科でPh.D.を取得し、神戸高等商業学校で英語を教えた竹原常太による編纂である。この辞典の特色は例文にあり、日本式の英語を排するため規範文例として英米の文献から集めた30万以上の引用文を掲載している。これらの引用文には全て出典が示されている。

(知里真志保文庫 423/TA)

『和英大辭典』

齋藤秀三郎著 日英社 昭和3年(1928)

英語のタイトルは“Saito’s Japanese-English dictionary”。正則英語学校(現在の正則学園高等学校)設立者である齋藤秀三郎の編纂。齋藤は日本人の英語はある意味で日本化されなくてはならないとの立場をとり、英米の文章の引用を例文として採用しなかった。この点で、竹原常太の『スタンダード和英大辭典』と対照的と言える。「逢う」の箇所には都々逸の英訳が見られる。

(書庫・洋書 423/SA2)

『新和英大辭典』

武信由太郎主幹 研究社 昭和6年(1931)

英語のタイトルは“Kenkyusha‘s new Japanese-English dictionary”。『武信和英大辭典』を継承する辞典であり、現在、『研究社新和英大辞典』として第5版まで出版されている(平成15年(2003))。武信は編集主幹となっているが出版の前年に亡くなっている。この辞典は英国大使館商務参事官で日本語文法の著者でもあったサンソムの協力を得ており、正しいイギリス英語での著述を特徴としている。『研究社新和英大辞典』は現在においても重要な位置を占める和英辞典と言える。

(農学部図書室・書庫 423/TAK)

和英辞典以外の武信由太郎の主な業績

“The Japan Times”

明治30年(1897)に創刊した日本人の手による最初の本格的な英字新聞。頭元による創刊社説には「治外法権撤廃などを願う日本人と外国人の相互理解である」と創刊の理由が述べられており、国際理解の手段としての効力をも視野に入れていたことが分かる。タイトルなどは変遷があるが現在も発行は続いており、本館でも購読している。

『英語青年』

明治31年(1898)に創刊した『青年』に起源をもつ英語英文学専門誌。武信はこの雑誌において長年、和文英訳課題を掲載し、それに対して投稿された英作文添削の掲載を行っていた。この添削は英語を学ぶ学生や受験生にたいへん好評を得たもので、武信が亡くなる前年まで31年間続いた。本館にも当時の『英語青年』は複数所蔵している。

“The Japan Year Book”

明治38年(1905)に創刊し昭和6年(1931)まで発行された日本初の本格的英文年鑑。本館には1920年代の分を一部所蔵している(自動化書庫)。この年鑑は、ロンドン、ニューヨークに販売代理店を置いて販売されるなど20世紀前半の日本人による海外への情報発信に重要な役割を果たした。